被告の答弁書における対応の誤りについて主張した準備書面です。
平和的生存権が具体的権利であって裁判上救済の対象となる権利であることを主張した準備書面です。
被害論に関する主張書面です。
原告らの陳述書を引用し、原告らが本件安保法制法制定によって、いかに精神的苦痛を受けたか、それが具体的なものであることについて主張しています。この準備書面では、特に先の第二次世界大戦の体験者の方々の陳述書等をピックアップして主張しています。
新安保法制法制定過程において国家賠償法上の違法性があることを主張する書面です。
当該法律が違憲であるかと、国会議員の立法行為によって、国が個別の国民に対して国家賠償法1条1項の賠償責任を負うかは、一応別の問題とされているため、これをリンクさせるための主張になります。明白に違憲違法な憲法破壊の国会審議が行われたものであり、公務員として国民に負うべき行為規範ないしは職務義務に明白に違反している重大な違法行為であって、その立法行為は、国家賠償法上、違法であるとの主張です。
憲法改正・決定権に関する主張書面です。
国民には、憲法上国民投票により憲法改正・決定に関わる権利があるにも関わらず、今回、国民投票によらず、閣議決定・立法によって実質的な憲法改正が行われてしまったものであって、これは国民の憲法改正・決定権を侵害するものであるとの主張になります。
安定した立憲民主政に生きる権利または利益に関する主張書面です。
立憲民主政の下において、国民は、公務員が憲法にしたがって行動し、それによって自己の基本的人権が守られるという信頼の中で生きています。国民は、公務員が憲法を尊重し、立憲民主政が安定して運用されることに信頼がおける社会で生きる権利または利益、すなわち、「安定した立憲民主政に生きる権利または利益」を有しています。
新安保法制は、一見して明白に違憲であるにも関わらず強引に成立させたものであり、国民の安定した立憲民主政に生きる権利ないし利益を侵害しているものです。
原告らは、このことによって、長期にわたって確認されてきた憲法秩序が、違憲の立法行為により簡単に変更され、憲法によって基本的人権の保障を図るという人権保障の前提が崩れてしまうという精神的苦痛を受けたのであり、当該精神的苦痛について、当然に損害賠償が認められるべきと考えます。
被害論に関する2回目の主張書面です。
原告らの陳述書を引用し、原告らが本件安保法制法制定によって、いかに精神的苦痛を受けたか、それが具体的なものであることについて主張しています。
この準備書面では、教員として教育に当たってきた原告、海外生活の経験者、子どもや孫を持ち心配する原告、戦争体験を持つ親に育てられた原告、労働組合員の経験を有する原告、新安保法制下での将来に不安を抱く原告の陳述書を引用して主張しています。
被告国の準備書面(1)及び(2)に対する反論を記載した主張書面です。
被告国は、平和的生存権や憲法改正・決定権の具体的権利性を否定しています。
しかし、各国会議員および国務大臣は憲法違反の新安保法制法を成立させるという「職務上の法的義務違反」をおかしたこと、そして国民の「平和的生存権」、「人格権」、「憲法改正・決定権」「安定した立憲民主政に生きる権利・利益」を極めて重大な程度まで侵害したものである以上、国賠法1条1項違反との評価を免れないと考えます。
被侵害利益の種類・性質や侵害行為の態様・程度等を問うことなく、国賠法の救済が得られる具体的な権利ないし法的利益が存在するか否かのみで判断するかのような被告の主張は、判例実務の基本的な理解を誤るものであり、失当であると考えます。
平和的生存権についていうと、平和的生存権の概念は、精緻化・具体化されてきています。
例えば、平成20年4月17日名古屋高裁判決(イラク派兵判決)は、「例えば憲法9条に違反する国の行為、すなわち戦争の遂行、武力の行使等や、戦争の準備行為等によって、個人の生命、自由が侵害され又は侵害の危機にさらされ、あるいは、現実的な戦争等による被害や恐怖にさらされるような場合には、・・・裁判所に対し当該違憲行為の差止請求や損害賠償請求等の方法により救済を求めることができる場合がある」のであり、「その限りでは平和的生存権に具体的権利性がある」としています。
また、憲法改正・決定権は、(1)主権者である国民による十分な議論と熟慮、(2)主権者による具体的な意思決定、という2つの要素を含みますが、今回の新安保法制制定は、主権者である国民による十分な議論と熟慮の機会を奪ったものです。また、主権者である国民による具体的な意思決定の過程を経ずに、制定されたものです。
主権者による国民投票という手続を経ることなく、実質的には憲法の内容を変えることに繋がる新安保法制法を制定したこと、これは原告らの憲法改正・決定権の侵害に他なりません。
被害論に関する3回目の主張書面です。
原告らの陳述書を引用し、原告らが本件安保法制法制定によって、いかに精神的苦痛を受けたか、それが具体的なものであることについて主張しています。
違憲論についての主張書面です(総論・各論)。
集団的自衛権について、従来の政府解釈では、自国に対して武力攻撃が加えられた場合に、国土を防衛する手段として武力を行使することは憲法に違反しないとして、いわゆる個別的自衛権の行使のみが許され、その自衛権の発動は、以下の3要件を満たす場合に限られるとしてきました。
① 我が国に対する急迫不正の侵害としての武力攻撃が発生したこと
② これを排除するために他に適当な手段がないこと
③ 必要最小限度のやむを得ない実力行使であること
この当然の帰結として、政府は、集団的自衛権の行使は憲法上認められないとの解釈を一貫して行ってきました。とりわけ、自衛権の行使として許される3要件のうち①「我が国に対する直接の武力攻撃があること」の要件を満たしていないことを理由としています。このような解釈は、政府見解として終始一貫しており、内閣法制局の説明、歴代の総理大臣も国会で明らかにし、政府答弁書等においても表明されてきたのであり、すでに憲法規範として定立していると言えます。
しかし、新安保法制法では、我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず、新たに、
第1「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより、我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合」を存立危機事態とし、第2「これを排除し、わが国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないとき」に、第3「必要最小限度の実力を行使すること」とし、その新3要件の下でわが国が武力攻撃を受けた場合と同様に自衛隊が防衛出動し、海外で武力行使することができる、とし、集団的自衛権の行使を認めました。
これは、我が国に対する武力攻撃がないにもかかわらず、他国が武力攻撃を受けた場合の集団的自衛権の行使を認めるものであり、従来の確立した政府解釈に反し、現実に機能してきた憲法の根本規範に反するものであり、憲法9条に反し違憲であることは明らかです。
また、「存立危機事態」「密接な関係にある他国」などその文言は明確性を欠きます。
さらに、後方支援活動について、弾薬の提供や発進準備中の航空機に対する給油・整備活動は戦闘行為の不可欠な要素であり、むしろその一環です。まして、それを戦闘行為が行われている現場のすぐ隣の地域で行うことまで認めれば、質的にも地理的にも他国の武力行使と一体となります。
重要影響事態法及び国際平和支援法では、それらを自衛隊や自衛隊機が行えるとするものであり、自ら戦闘行為を行なっていないとしても、そのような活動を行うことは、他国による武力行使と一体化した行動であって、自らも武力の行使を行ったとの評価を受け、それが軍事行動に当たることは明らかです。
国際法上、兵站、すなわち輸送等の補給活動等も戦闘行為の不可欠な要素であることからすれば、後方支援活動等ができない場所を「戦闘行為を行っている現場」に限定し、かつ弾薬の提供や戦闘のために発進準備中の航空機に対する給油・整備を行うことまで規定した新安保法制法は、武力行使にあたる後方支援活動等を認めるものであり、憲法9条に反し違憲です。
その他、準備書面(12)では、・PKO新任務と任務遂行のための武器使用の違憲性・外国軍隊の武器等防護の違憲性についても主張しています。
準備書面(13)は、違憲審査制と裁判所の役割について記載した主張書面です。
• 日本の裁判所は、違憲審査権の行使について、なるべくその判断が政治部門に影響を与えないよう、様々な論拠を用いて自己抑制をしてきました。
• しかし、本件でそのような態度は取るべきではありません。
• 新安保法制法の審議過程における不十分さと異常さに照らせば、国民の声がそこに届いていたとは言いがたく、憲法が予定する議会制民主主義を破壊して作られたものだとさえいえます。そうだとすると、裁判所は、合憲性の統制に積極的に乗り出すべきです。
• 日本の裁判所にも「人権擁護」の任務が憲法上、課せられています。
•
芦部信喜教授によれば、違憲審査権の根拠は「憲法の最高法規性の観念」とともに、「基本的人権尊重の原理」であるとされます。つまり、「基本的人権の確立は近代憲法の目的であり、憲法の最高法規性の基礎となる価値でもあるが、その基本的人権が立法・行政両権によって侵害される場合に、それを救済する『憲法の番人』として、裁判所ないしそれに類する機関による違憲審査制が要請される」としております。
• さらに、裁判所は、「立憲主義の擁護者」としての職責があります。つまり、裁判所には、政府が立憲主義に反する姿勢を取っているときに、これを是正する職責があります。
• 裁判所は政治部門の判断を追認するために存在するのではありません。主権者国民が政治部門に委ねた憲法の枠組みに沿った国家運営がなされているのか否かを厳格に監視するためにその存在が認められています。
• 裁判所が、今回の新安保法制法の違憲性についての判断を避け、自らその存在意義を否定するようなことがあってはなりません。
• よって、たとえ被告が争点とすることを避けるため反論をしなかったとしても、裁判所としては、新安保法制法の違憲性について、原告の主張を受け止め、十分な審理を尽くして、憲法が裁判所に課した職責を全うするべきです。
• これは憲法制定権者たる国民から裁判所に負託(付託)された使命であり、裁判官にはこれに応える憲法上の義務があります。
• 安定した立憲民主政に生きる権利・利益について、被告国の主張への反論を記載した主張書面です。
• 憲法9条【平和主義】は、国民主権、基本的人権の尊重に並ぶ、日本国憲法の三大原理の一つです。また、憲法9条の政府の解釈は、60年の長期にわたって、国会、内閣を明確に拘束してきました。
• 本件は、制定される予定の法律の内容が、日本国憲法の中でも特に重要な憲法規定の確立した憲法規範に反することが誰の目からも一見明白であり、内閣及び国会議員が、そのことを十分に知りながら、あえて立法行為を強行したという極めて特殊な事案です。
• 単なる心情を害したという評価ではなく、立憲民主政に対する個人の期待権が深刻に傷つけられ、「安定した立憲民主政に生きる権利・利益」が侵害されたと認定されるべきです。
信州安保法制違憲訴訟の会